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  2. 海外駐在経験者対談

9ヶ国16拠点。世界中へと広がる、
三洋貿易のビジネスフィールド。
現在も営業職のおよそ5人に1人が、
海外拠点で活躍しています。
アメリカ・中国・インドでの駐在を経験した社員4名に、
海外駐在の面白さや苦労、
そして、ビジネスを通じて世界と向き合う中で
得られたものを聞いてみました。

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世界中が、活躍のフィールド。

駐在先での仕事内容を
教えてください。

原田: モビリティ第一・第二事業部では、自動車関連製品を中心に扱っています。自動車産業が盛んなデトロイトで、主に欧米のサプライヤーの部品を日本の自動車メーカーに販売していました。
光部: 私は2010年から2016年まで上海と広州に駐在して、中国に進出している日系自動車メーカーに部品提供や各種サポートをしていました。原田さんのデトロイトは、サプライヤーの本社機能やR&D機能が多いのですが、中国は生産拠点が中心。実際にモノづくりが行われる場所ですね。
原田: 自動車関連は一緒だけど、中国とアメリカだと文化も違うし、商習慣も違うし、別物だよね。
私はゴム事業部で、ニューヨークに約4年半駐在していました。アメリカでもゴム製品を扱っていまして、日本の合成ゴムメーカーの製品をアメリカに販売したり、逆にアメリカのゴムを日本へ輸入したり、それからアメリカ国内での輸入販売をしたり、色々やりました。
小嶋: インドの子会社(三洋貿易インド株式会社)に出向して、販路の拡大とサプライヤーの開拓をしていました。インドにはまだ発見されていない有望なサプライヤーが実はたくさんあって、その開拓ですね。それから、会社の運営業務全般。現地スタッフのほか、日本人は私だけなので、人事や会計なんかも、全てやっていました。
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困難だらけだからこそ、世界は面白い。

困難だらけだからこそ、
世界は面白い。

駐在期間中、いちばん苦労した
経験を教えてください。

光部: 価格面での交渉にはかなり苦労しましたね。こちらの提示する価格と、向こうが買いたい価格が釣り合わない。
たとえば単価1500元の商品を、1000元で売ってくれ、みたいに。金額が5割も違うわけです。それで、20回以上通い詰めてなんとか話がまとまったと思ったら、最後の交渉で向こうのボスが出てきて、話を振り出しに戻されてしまう…なんてこともありました。
原田: あるよね、ちゃぶ台返し!(笑)
光部: そうですね。その時はなんとか、ずっと交渉していた向こうの担当者が、最後にこちらの味方になってくれて。そのボスを宥めてくれてなんとか収まりました。苦労して粘り強く通い詰めた甲斐があったなと思いましたね。あとは、これもみなさんそうだと思いますけど、言葉の壁はやっぱり大きかったです。中国語は全く分からない状態で上海へ行ったので。
小嶋: 言葉は私も苦労しました。私はインドだったので公用語は英語なのですが、訛りが強いんですよね。イントネーションが独特だから、相手が話していることの1割か2割しか分からなくて、とにかく最初は電話が怖かったのを覚えています。
原田: 僕も電話は怖かったなあ。電話で1時間ぐらいやりとりした後に、結局最後に「やっぱりメールで送ってくれ!」って言ったりね(笑)。でも、いつまでも分からないじゃ済まないから、街の英語教室に通ったり、仕入先にデスクを一つ置いてもらって、強制的に英語でコミュニケーションする環境を自分で作ったりした。
メールが無い時代とかは大変だったでしょうね。
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原田: 渡辺君は?言葉以外にも何かある?
私は、駐在期間中にリーマンショックが起きまして。売上の3,4割を占めていた取引先が、現地からの撤退を決めたり、そもそもモノが全く売れなくなったりで大変でした。
原田: そんな話したら、学生さん来なくなっちゃうよ(笑)。
そうですね(笑)。ただ、そこからゴム以外の製品も開拓したり、新しい取引先を探したりして、なんとか持ち直しましたよ。
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言葉、文化、人種。すべての壁を超えていく。

言葉、文化、人種。
すべての壁を超えていく。

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駐在中の嬉しかった経験、
やりがいを感じた経験を
教えてください。

言葉とか、文化とか、その違いを乗り越えて、新しい取引をスタートさせることができた瞬間が、やっぱり一番嬉しいですね。駐在期間の終了間際に、日本メーカーの新しいフィラー(充填材)をアメリカのお客さんに採用してもらったのですが、私の帰任後、アメリカでのゴム事業部の柱に成長しているそうです。
小嶋: 私もそこが一番ですね。インドでもサプライヤーを開拓して、新しいビジネスを探していました。最初はインドから、日本のお客さんに製品を販売していたのですが、そのうちにインドからベトナム、インドからタイなど、日本以外での取引にも広げていくことができました。子会社の代表という立場を任されていたので、自分の力がダイレクトに反映される手応えがあったし、とても刺激的でした。
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光部: 私は駐在先でのお客さんとの人間関係が、一番の財産になっていますね。駐在中、数年間にわたって商談を続けていたお客さんがいて、帰任する最後の夜に、そのお客さんが私のために送別会を開いてくれたんです。「日本に帰っても頑張れよ」と。一晩お店を貸し切って、朝まで飲んでました。
原田: 日本のメーカーでも、海外駐在しているのはその会社で選抜された優秀な人が多いから、駐在先での人間関係が、将来的に貴重な人脈に繋がるよね。
光部: そうですね。そのお客さんとは今でも時々、情報交換したりしています。
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得られたのは、タフなビジネススキルと一生モノの経験値。

得られたのは、
タフなビジネススキルと
一生モノの経験値。

海外駐在を通して
学んだことを教えてください。

光部: 日本では一担当者として仕事をしていても、海外ではマネージャーとしてプロジェクトの責任を持つことになります。しかも、一緒に仕事をするのは現地のローカルスタッフ。国民性も商習慣も違う人たちをどうマネジメントして、成果を出すか。それを考え抜いて実行したことは、日本に戻ってからも確実に活きています。
自分も、違う文化、商習慣の中で、大きな責任と裁量をもってビジネスを経験できたのは、本当に貴重だったなと思います。たとえば工場で不良品が出た時、日本なら不良品が出ないような生産設備の改善を目指すでしょうけど、アメリカだと「不良品が出ちゃうのはしょうがないから、その分ディスカウントすればいい」みたいに考えることも多い。どちらが正しいかは状況にもよりますが、そういう割り切った合理的な考え方も選択肢の一つとしてあるということを身をもって学びましたね。
小嶋: 色々な国の人と仕事をすると、日本の商習慣がむしろ特殊なんだと気づくこともありますよね。あとは私の場合、子会社の代表という立場を33歳という年齢で経験させてもらえたこともありがたかったです。経理や財務、人事を全部一人でやる必要がありました。日本とは何もかもが違うインドという国で、ビジネスを全くゼロの状況から生み出すという経験は、何物にも代えがたいですよね。同年代でここまで任せてもらえる会社は、なかなかないと思いますよ。
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原田: 言葉も、考え方も、色々なバックグラウンドを持った人と大きなビジネスを動かす経験を若いうちにできるのは本当に良いよね。三洋貿易で働く最大の魅力のひとつなんじゃないかと思います。ただ単に言葉を翻訳するだけなら、今は自動翻訳機でできちゃうけど、「この人がこう言っている背景には、こんな国民性や文化がある」というのを理解した上でもう一方に伝える、というのは人間にしかできないこと。本当の意味での“翻訳”をするというか。そして、それこそが、私たちがサプライヤーとお客様の間に介在する一番の価値なんじゃないかと思いますね。
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