初の海外赴任。
初のマネージャー。
化学が苦手で文系学部に進学した私が配属されたのは、まさかの化学品事業部。担当商材は、絆創膏の素材や海外の水道水に使われる薬品、電子材料など、見たことも聞いたこともないものばかり。化学の知識では勝負できないと悟った私は、「まずは、お客様に納得して買っていただくという目標が達成できれば良い」と割り切り、化学的な説明よりも、効果やメリットに重きを置いた説明をする営業スタイルに徹することにしました。結果的にはそれが功を奏して、しっかりと成果を出しながら、化学の知識は同時並行でじっくりと勉強していくことができました。
そんな私の転機となったのは、入社5年目27歳のとき。そろそろ海外で働きたいと思い、1年間のニューヨーク研修に参加したいと、上司に相談したことがきっかけでした。「研修ではなく、実務で学んだらどうか。ちょうどベトナムでマネージャーを募集している。やってみないか?」突然の海外赴任の打診。しかも当時20代のマネージャーは前例がない。驚きましたが、すぐに「やらせてください」と答えました。
出向先のSanyo Trading Vietnamは、代表を務める日本人1名、ベトナム人スタッフ15名の会社。私はそのスタッフを管理するポジションでした。しかし、スタッフは全員歳上で、しかも理系出身。実は、ベトナムは年功序列の考え方が色濃く、赴任当初は「文系出身で歳下なのに、なぜ上司なんだ」という無言の圧を感じていました。
そこで私は、結果を出すことで認めてもらい、みんなを引っ張っていこうと決意。とにかく会社の売上を上げようと、がむしゃらに営業をかけていくことにしました。しかし、結果は散々。電話では英語が通じない。メールを送っても返ってこない。文化や商習慣の壁に阻まれ、赴任後3ヶ月経っても、ベトナム人の方とはまともな商談の場に立つことすら叶わなかったんです。
年功序列社会に、
最年少が挑む。
大きなゴールのために、
常識は、捨てる。
限界を感じた私は、そこで初めてベトナム人スタッフに助けを求め、営業方法も一新することにしました。自分は情報収集や資料づくりなどの裏方に徹し、アポ取りやプレゼンなどは現地のビジネスを知るベトナム人スタッフに任せる。すると、徐々に仕事がうまく回るようになったのです。他の国の場合は、日本人スタッフが前線に立ち、現地スタッフはサポートに回るのが常識。でも、最終的にお客様に商材を買っていただき、会社の売上が上がるという目的が達成できれば、プロセスは重要ではありません。さらに、現地スタッフにどんどん仕事を任せていったことで、一人ひとりが自走できるチームになりました。
現在は日本に戻り、塗料やインキなどの原料の輸入を担当していますが、ゆくゆくは東南アジア全域をマーケットにしたビジネスを仕掛けてみたいですね。国ではなくエリア規模でのビジネスは当社では前例がありませんが、だからこそ挑戦したいんです。
化学品事業部
森田 耕平KOHEI MORITA